P--1411 P--1412 P--1413 #1御裁断御書    御裁断御書 【1】 祖師聖人(親鸞)御相伝一流の肝要は、ただ他力の信心をもつて本とすす めたまふ。その信心といふは、『経』(大経・下)には「聞其名号 信心歓喜  乃至一念」と説き、『論』(浄土論)には「一心帰命」と判ず。ゆゑに聖人は論 主(天親)の「一心」を釈して、「一心といふは、教主世尊のみことを、ふたご ころなく疑なしとなり。これすなはち真実の信心なり」(銘文・本)とのたま へり。されば祖師よりこのかた代々相承し、別して信証院(蓮如)の五帖一部 の消息(御文章)に、この一途をねんごろに教へたまふ。その信心のすがたとい ふは、なにのやうもなく、もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一 心一向に阿弥陀如来、今度のわれらが一大事の後生、おんたすけ候へとたのみ たてまつる一念の信まことなれば、弥陀はかならず遍照の光明を放ちてその人 を摂取したまふべし。これすなはち当流に立つるところの一念発起平生業成の P--1414 義、これなり。この信決定のうへには、昼夜朝暮にとなふるところの称名は、 仏恩報謝の念仏とこころうべし。かやうにこころえたる人をこそ、まことに当 流の信心をよくとりたる正義とはいふべきものなれ。 【2】 しかるに近頃は、当流に沙汰せざる三業の規則を穿鑿し、またはこの三業 につきて自然の名をたて、年月日時の覚・不覚を論じ、あるいは帰命の一念に 妄心を運び、または三業をいめるまま、たのむのことばをきらひ、この余にも まどへるものこれあるよし、まことにもつてなげかしき次第なり。ことに聖人 (親鸞)のみことにも、「身口意のみだれごころをつくろひて、めでたうしなし て浄土へ往生せんとおもふを自力と申すなり」(御消息・六)と誡めたまへり。 所詮以前はいかやうの心中なりとも、いまよりのちは、わがわろき迷心をひる がへして、本願真実の他力信心にもとづかんひとは、真実に聖人の御意にもあ ひかなふべし。さてそのうへには王法・国法を大切にまもり、世間の仁義をも つて先とし、うつくしく法義相続あるべきものなり。  [右の通り裁断せしめ候ふ条、永く本意を取り失ふべからざるものなり。] P--1415    [文化三丙寅年十一月六日]          [釈本如](花押) P--1416